「すごい衝撃だった。何が起きたか分からなかった」
2016年8月14日、札幌競馬場(札幌市)。断然の1番人気に推された第7レースで、大きな落馬事故に見舞われた。
最後の直線で先頭に立った瞬間、馬が転倒し、ダートコース上に投げ出された。そこに、後ろを走っていた体重約470キロもの馬が時速約60キロの速さで突っ込んできた。
ボキボキ――。体の中から鈍い音が聞こえた。何とか起き上がろうと四つんばいになったが、下半身に全く力が入らない。痛みよりも、息ができず苦しかった。すぐに担架に乗せられて札幌市内の病院に救急搬送された。「死ぬ、死ぬ」。うめくように言い続けた。
08年、騎手として華々しいデビューを飾った。その年は91勝を挙げ、武豊騎手が持つ新人年間最多勝利記録(69勝)を更新。11年にはタレントのほしのあきさんと結婚した。
ただその後は、決して順風満帆ではなかった。年間勝利数は60~70勝台。伸び悩んでいた。
レースで馬が故障し、落馬することは珍しくない。しかし、デビュー9年目で起きた事故は、医師から「命が助かってよかった」と言われたほどの大けがだった。骨盤が真っ二つに折れていた。待っていたのは、騎手生命さえも脅かすような、1年近くに及ぶ壮絶な日々だった。
落馬事故で、札幌市内の北海道医療センターに救急搬送されると、集中治療室(ICU)に入れられた。
上半身を支える土台である骨盤は、割れて左右が完全に分断され、原形をとどめていなかった。左肺は、折れた肋骨(ろっこつ)が刺さってつぶれていた。肺挫傷だった。
「すぐには手術できない」。担当した医師はそう判断し、容体を安定させることに全力をあげた。肺からの出血もひどく、脇腹に開けた穴から管を入れて血を抜いた。
呼吸が楽になると、今度は、経験したことのないような激痛が襲ってきた。痛みを和らげるため強い痛み止めを使ったが、「心のコントロールがうまくできず、幻覚のような変な夢を見た。生きた心地がしなかった」。
ベッドでは全身が管につながれた状態。左脚の感覚は全くなかった。身動きができないので、床ずれができないよう、看護師らが数時間おきに横を向かせてくれた。
手術ができたのは、事故から4日後の8月18日だった。その後、26日、29日にも立て続けに行われた。最もひどい痛みに見舞われたのは2回目の手術の後で、激痛に耐えきれず泣き叫んだ。
難しい手術だったが、骨盤は金属プレートや15本のボルトなどで固定され、ようやく、いい形に収まった。
自分で寝返りも打てるようになった。だが、依然として状況は予断を許さなかった。
寝たきりの状態が続いていたが、落馬事故から約3週間後、車椅子には乗れるようになった。2016年9月17日、自宅に近い茨城県つくば市の筑波記念病院に転院した。
担当した整形外科部長の相野谷武士さんは、骨折のひどさに驚いた。長年、騎手を数多く診療してきたが、「10年に1人の大けがだった」。40代なら引退してもおかしくなかった。
さらに厄介なことが起きていた。骨盤の一部である恥骨の部分に、抗菌薬の効きにくい細菌が繁殖し、感染症を起こしていた。抵抗力が落ちるなか、3回も手術を繰り返したためだという。
2週間後、たまった膿(うみ)を取り除く手術を行った。うまくいかなければ、骨盤を固定する金属プレートなどを抜くことになり、治療が振り出しに戻る可能性さえあった。「どっちに転んでもおかしくなかった」。相野谷さんは、綱渡りだった経過を振り返る。
約1か月かかったものの、感染症は幸い、抑え込むことができた。しかし、肝心の新しい骨ができてこなかった。骨折した部分に超音波を当てるなどしたが効果はなかった。
「早く動きたい」。5歳の頃から憧れた騎手だった。「もし騎手に復帰できないのなら、日常生活に戻れたってしょうがない」。気が焦るばかりだった。
退院したのは、年の瀬も押し迫ったクリスマス。とはいえ、まだ家の中でも車椅子が必要な状態だった。
入院生活の中で、これまでの騎手人生にリセットボタンを押せた日があった。
「こんな自分は嫌だ」
新人記録を塗り替える華々しいデビュー。だが2年目以降は、周囲の大きな期待に応えるような成績は残せず、ずっと自分を否定し続けてきた。絶えず重くのしかかるプレッシャー。「自分であって自分でないような感覚」に苦しみ、不安と孤独感にさいなまれた。
そんな時に起きた落馬事故だった。自分を見つめ直すのに、十分過ぎるほどの時間を与えてくれた。ある日、急に気持ちが楽になった。妻のほしのあきさんや長女が精神的な支えになった。「家族の前だと、ありのままの自分でいることができた」。素直に家族のために頑張ろうと思えた。
本格的なリハビリは、松葉づえや手すりを使って歩くところから始まった。筋肉はすっかり落ち、中でも左脚はやせ細っていた。当初は左足を地面につけてはいけなかった。それだけに両足の裏全体をつけた時、「戻れるという確信が持てた」。
ただ、骨盤骨折から半年たっても、新しい骨はできなかった。骨がくっつかず、ぐらぐら動く「偽関節(ぎかんせつ)」と呼ばれる状態になっていた。この部分の骨をくっつけ、骨盤に入った金属プレートを組み替えないと、腰を曲げられない。復帰には再手術が必要だった。
「うまく行くかはやってみないと分からない」。筑波記念病院整形外科部長の相野谷武士さんから、そう告げられた。2017年4月のことだった。
骨盤の金属プレートなどを組み直す手術は2017年5月16日、無事成功した。新しい骨ができ始め、約1か月後、松葉づえなしで歩けるようになった。「当たり前だったことが少しずつできるようになった喜びを忘れずにいたい」
復帰した時、前より成長していないと意味がない。トレーニングは体幹を意識し、質のいい筋肉づくりに取り組んだ。派手だが無駄な動きも多かった騎乗フォームは、馬の動きに同調した乗り方に変わった。7月上旬、久しぶりにまたがった馬の背中は懐かしかった。体は勝手に反応してくれた。
1年ぶりの復帰を果たしたのは8月12日。あの日と同じ札幌競馬場(札幌市)を選んだ。自分への「けじめ」だった。
「皇成、おかえり!」。雨の中、パドックで声援が飛ぶと、耐え抜いた日々を思い返し、熱いものがこみ上げた。復帰戦は妻のほしのあきさんが心配そうに見守るなか、5着で終えた。「次は勝ちたい」。自然と湧き上がった思いに、「俺、やっぱり騎手なんだなって実感した」という。
「誰もできない経験をした。これで変われなかったら、頑張った自分に申し訳ない」
騎手は、死ぬ可能性があることを思い知らされた。手術は5回にも及んだ。体にはまだ14本のボルトが入る。だが怖さはない。騎手という仕事に誇りを持てた。トップジョッキーになる――。その覚悟と自信を胸に人馬一体となって、ターフを駆け抜ける。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181026-00010000-yomidr-spo&p=3
フォーム変わったというか、変えるしかなくなったからな
普通なら心折れてるよ…
やっぱり競馬が本当に好きなんだろうね…
先ず激痛に耐えられる自信がない
芯がしっかりしてきたよ考え方も
しかし追えなくなったのは心配だな
モレイラ下手乗りしてたし
三浦だったらスプリンターズ勝てたよな
痛みもまだあるんだろ
本当に関西所属だったら良かったのにな
乗り方が下手だもの
ホンマにそれ
これw
騎手の取り分は5%だし、各種手当もあるから1億近く行くでしょ。
そりゃ止められないよね
復帰する前まではNHKで特集されたりで天狗になってたし、実際、調子こきすぎてノボ事件起こした。
あの時はざまーみろと思ったし、悪い印象しかなかった。
復帰してからは前よりも競馬が好きになっている気はするし、誰が見ても頑張っているからな
悪い感情は今はない
けど、深夜にID無しのスレ立てでステマとか夫婦共々、所属プロダクション共々つーか、そういう所は何も変わってないな笑
あれは典型的なフラグでワロタww
最近は無難にこじんまりしちゃった印象
ヨシトミに肘鉄かましてたぐらいギラギラしていた三浦が見たいわ
グランプリボスでジャスタウェイ善臣にエルボーかましたアノ安田記念
三浦を擁護するわけじゃないけど故意じゃないと思う
三浦に馬を真っ直ぐ走らず技術が未熟なだけ
アレ真っ直ぐ走ってたら差しきり勝ちだったよ
通勤途中だが涙がでる
三浦皇成 G1騎手になったときは
一緒に泣こうな
泣いた
もう想像するだけで壮絶だよな、騎手てホント凄いと思う
三浦て太らん体質かも知れんけど、それでも大抵のヤツは減量もあるしほんま大変や
修羅場乗り越えた顔つきだったな。
故障前と変わらん成績残してる時点でよく頑張ってると思うが
>>181
15 こんな名無しでは、どうしようもないよ。 (ワッチョイ 3a32-O+me)[] 2018/09/06(木) 22:12:59.23 ID:pN/gCZgO0
三浦 皇成 600勝までの軌跡新人最多勝記録更新 2歳未勝利 2008年10月25日
100勝達成 3歳未勝利 2009年2月7日
200勝達成 2歳未勝利 2010年9月25日
300勝達成 3歳未勝利 2012年3月4日
400勝達成 知床特別(500万下) 2013年8月24日
500勝達成 4歳上1000万下 2015年2月21日
600勝達成 2歳未勝利 2017年9月16日
16 こんな名無しでは、どうしようもないよ。 (ワッチョイ 3a32-O+me)[] 2018/09/06(木) 22:13:54.97 ID:pN/gCZgO0
※現役騎手(生え抜き)の中央平地GI初勝利
<2年目> 江田照(天皇賞・秋) 武豊(菊花賞) 古川(阪神3歳牝馬S)
<3年目> 藤岡弟(NHKマイルC) 熊沢(オークス) 浜中(菊花賞) 吉田豊(阪神3歳牝馬S)
<4年目> 福永(桜花賞) 和田(皐月賞) 勝春(安田記念)
<5年目> 池添(桜花賞) 川田(皐月賞) 松岡(ヴィクトリアマイル) 横山典(エリザベス女王杯)
<6年目> 四位(皐月賞) 勝浦(NHKマイルC)
<7年目>
<8年目> 北村宏(ヴィクトリアマイル)
<9年目> 松山(皐月賞) 柴田善(安田記念)
<10年目> 幸(桜花賞) 石橋脩(天皇賞・春) 大野(スプリンターズS) 蛯名(天皇賞・秋)<11年目> ●今ココ●<12年目> 吉田隼(有馬記念)
<13年目> 田辺(フェブラリーS)
<14年目>
<15年目> 藤岡兄(NHKマイルC) 酒井(ジャパンカップダート)
<16年目> 秋山(NHKマイルC)
<17年目>
<18年目> 柴田大(NHKマイルC)
17 こんな名無しでは、どうしようもないよ。 (ワッチョイ 3a32-O+me)[] 2018/09/06(木) 22:14:36.99 ID:pN/gCZgO0
【参考資料3】
JRAG1未勝利者連敗記録(継続中)…2018年宝塚記念終了時点
1位 三浦皇成 74連敗
2位 柴山雄一 44連敗
3位 北村友一 39連敗
・引退者では松永昌博59連敗(旧八大競走3敗除く)が最多
・卒業者の未勝利時記録を含めると藤岡佑介85連敗が最多
JRAG1連敗記録(継続中) …2018年宝塚記念終了時点
騎手名 連敗数 1-2-3-4-5-外 最終GI勝利
1位 三浦皇成 74連敗 0-2-7-3-3-59 未勝利
2位 江田照男 68連敗 0-1-4-3-2-58 00.10.01 スプリンターズS(ダイタクヤマト)
3位 松岡正海 65連敗 0-3-3-3-1-55 09.05.03 天皇賞・春(マイネルキッツ)
・終了記録を含めると田中勝春139連敗が最多
18 こんな名無しでは、どうしようもないよ。 (ワッチョイ 3a32-O+me)[] 2018/09/06(木) 22:18:54.67 ID:pN/gCZgO0
※三浦騎手が騎乗したG1馬(●はG1騎乗あり)<後のG1馬>
アーネストリー ●キンシャサノキセキ
サウンドトゥルー ジョーカプチーノ
ストレイトガール ダノンシャーク
●トーセンジョーダン マイネルホウオウ
マリアライト レインボーダリア<G1馬>
●エイシンフラッシュ クラリティスカイ
●グランプリボス コスモバルク
サンテミリオン ●サンライズバッカス
シャドウゲイト ●シュヴァルグラン
ピンクカメオ ●マイネルキッツ
レジネッタ ローブティサージュ
(G1勝利の前と後で騎乗)セイウンコウセイ
(複数のG1勝利の間で騎乗)ロゴタイプ
23 こんな名無しでは、どうしようもないよ。 (ワッチョイ 3a32-O+me)[] 2018/09/06(木) 22:37:30.31 ID:pN/gCZgO0
○騎手編
内田博…例の9頭落馬で骨折後、1度も見舞いに来ず、トレセンでも謝罪の1つもない三浦に激怒
それに対して三浦は影で「ウザイ」横山典…三浦の斜行で、落馬寸前・愛馬を破壊され、早期にその危険性に気付き注意をする
それに対して三浦は当時の師匠に泣きつき、師匠にノリが抗議される蛯名…三浦がヘグって蛯名に乗り替わりになって、その時三浦は「この馬はズブいところがあるので
四角から追った方が良いですよ」と助言したら開口一蹴「お前が下手に乗ったんだろ!」武豊…自身の経験から三浦にマスコミにチヤホヤされなくなってからが本当の勝負であると助言。
三浦は武が自分の馬を三浦に取られそうで脅えてると勘違い
柴田善…三浦の危険な騎乗をいち早く発見し、三浦にレース中に三浦に注意を促す
だが、三浦にただでさえ聞き取りにくいヨシトミ語がレース中届いていたかは定かではない
勝浦・伊藤工・(蛯名)…ジョッキーイベントで、「先輩と後輩で態度が違う騎手は?」100人アンケートを
正解(1位)を三浦と予想して見事的中
村田一誠…三浦についてブログに書いたらオフィス皇から圧力を受けたとブログでばらす
24 こんな名無しでは、どうしようもないよ。 (ワッチョイ 3a32-O+me)[] 2018/09/06(木) 22:39:32.14 ID:pN/gCZgO0
堀師…三浦に最もチャンスのある馬を回していた厩舎だがキンシャサクラッシュあたりから絶縁
絶縁後は詰めが甘かったキンシャサが4連勝でGⅠ制覇・三浦が新馬に乗ってたアリゼオがGⅡ2勝などGⅠ2勝GⅡ6勝の大活躍田村康師…9頭落馬を起こした三浦を一喝し、三浦を「死ぬ気で乗って来い」と負傷乗り替わりで乗らせる
そのレースでは三浦の辺りを全員避けて大回りで周回したため、逃げ馬1着・三浦2着となる加藤征師…フィフスペトルで重賞初勝利をプレゼント しかし、フィフスペトルのその後の調教に乗った
三浦を大批判し絶縁
手塚師…三浦の海外遠征をブログで海外「旅行」と的確に表現
○馬主編
アドマイヤ…人はええ、馬は…でおなじみ。離婚して人が変わったせいか
2015年から時には三浦を乗せるようになった。
マイネル・コスモ…昔は恐ろしいほど三浦に馬を回していたが、最近は微妙な馬が多い
オメガ…一時期馬を積極的に回していたが、今は微妙な使い捨てポジション
○その他
伝説の馬券師ブログ…微妙な有料予想ブログだが、三浦叩きは天下一品
人気馬に乗る飛ばす印象
周囲の思惑によって「競馬界ホープ」に祭り上げられた可哀そうな騎手、というイメージ。
あ、1番人気をよく飛ばすので馬券に入れる時は注意しましょう。
5~8人気ぐらいの時に買う方が個人的にはおススメです。